1999.9 タイ・マレーシア(11)

帰国の途へ (1999/914) 
 
まだ痒いがだいぶ良くなった。
再発の不安はあるが何とか出歩ける状態であった。14時には空港に向かわなければ
ならない。残り3時間。土産を買ってバンコク最後の食事をとった。
(8番ラーメンのトムヤムラーメンとライス:8番ラーメンがどんなものを出すのか
興味があって)最後を飾るには情けない食事だった。
 
こんなことにならなければ、バンコクでは映画を見ようとか、まだ行ったことのない
所に行ってみようとか思っていたのに・・・
結局はゲストハウスから50m範囲をうろうろしただけだった。
 
荷物を持って、リムジンバスが通るはずのバス停で待った。
15分に1本は通るはずだが30分経っても1台も来ない。
このままだと飛行機に乗り遅れる可能性もでてきた。
道路は3車線になった町田街道のようであった。(わかんないか)
要は道路が駐車場状態だったということ。
 
タクシーにしようかと思い始めたころにようやくリムジンが来た。ホッとして乗り込む。
まどろんでいるとすぐに到着してしまった。
あまりに早く感じたので違うところにつれてこられたのかと思ったくらいだった。
 
免税店も興味ないのでさっさと搭乗ゲートへ。
(しつこいけど、カードないから何も買えないんです)
さあ、日本に帰ろう。
違う、クアラルンプール経由の関空行きだって。
 
クアラルンプール到着。
マレーシアの通貨は残りRM0.6しかなく、ジュース(RM1.2)も飲めなかった。
関空行きがでるまで3時間を空港内で過ごすしか無かった。
1時間もぶらぶらしていると疲れてしまったので出発ゲートでずっと待った。
そこら中走り回っているアメリカ人の学生。
アメリカ人とおぼしき老人に英語で話しかけられて会話になっていない日本人の学生。
うろうろ歩き回っている日本人のおじさん。
 
さぁ、日本へ。
深夜発、翌早朝着、関空から羽田へ大急ぎの乗り継ぎの予定。
少し遅れたら早割切符が水の泡なので定刻通り到着することを祈った。
 
喫煙席だった。喫煙者なので、それはかまわないが、
「やい、隣のオヤジ! お前、タバコ吸いすぎだぞ。メチャクチャ煙いぞ」
タバコを吸わない人の気持ちが分かるくらいチェーンスモーカーのオヤジが隣だった。
アルコールサービスはないのにウイスキー2杯とつまみ2袋食べて。
「やい、オヤジ! 酒臭いんだよ」
 
早朝5時頃、無理矢理に朝飯を食べさせられる。
早朝到着便というのは無理に起こして、朝飯食べさせるからつらい。
 
空も明るくなり、やがて定刻通りに日本到着。
台風で関空-高松便が欠航になったのによく無事についたものだ。
その後の関空-羽田も定刻通りに飛んですべて順調。
盗られた部屋のカギのスペアも手に入り、ひさびさの部屋。
これで空き巣にでも入られていたら悲惨の極みと思いながらも何ともなく、
いつも通りの部屋の景色があった。
 
11日前から数時間前まで僕の目にはいろいろな時間がめまぐるしく流れていったが、
ここには出発したときと同じ時間があった。
 
一つ大きなため息・・・
旅は終わった。
 
その後・・・
じん麻疹-帰国後5日で完治
親指の痛み-9月下旬好転。10中旬回復
VISAカード-9/25再発行分受け取り
CITIBANK-10/10再発行分受け取り
定期券-再購入。辛かった・・・。