教師節

9月10日は「教師節」(先生の日)だそうで。

中国、台湾、韓国では、学生が先生にお礼をする日らしい・・・。

とはいっても、実はワイロの日でもあるようで。


聞くところによると、
教室は、前の席の方が勉強ができるようになると考えている親たちは、
少しでも席が前になるよう、
また、学校でいじめに遭ったりすることがないよう配慮を求めるために
先生に手土産を持って行くらしい。

もともと成績の良い子はあまり関係ないらしいけど、
そうでない子は「無視されます」と、とある裕福な中国人の方の弁。


で、なぜ9/10が先生の日なのか?
何と、孔子のお誕生日だそうです。

今から2500年も前に、誕生日を気にする習慣があったのだろうか?

9と10を中国語で続けて読むと、チュウ・シー
教師を中国で読むと、      チャオ・シー

語呂合わせな気がしてならんのですが・・・。



孔子といえば、論語

論語には、現代でも為になる言葉がたくさんありますね。

仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼(おそ)れず

  (仁のある者は心配事がない、知のある者は惑うことがない、
   勇のある者は怖れることはない)

  孔子は謙遜で、「私はどれも持ち合わせていない」と言ったらしいが、
  私は謙遜しなくても、何にも持ってませ~~~ん。
  心配事はたくさんあります、惑うことばかりで、失敗を恐れます。

己れの欲せざる所は人に施すことなかれ

  (自分のして欲しくないことは人にしてはいけない)
  もちろん!

過って改めざる、これを過ちという

  (間違いをあらためないのは、間違いだ)
  分かったね、何々党の方々。

過ぎたるは、なお及ばざるが如し

  (やり過ぎはいかんよ)
  私は、そこそこ主義です。

吾十有五而志乎
三十而立
四十而不惑
五十而知命
六十而耳順
七十而從心所欲
不踰矩
 (十五になると学門を志し
  三十になると独立した立場となり
  四十になると惑うことがなく
  五十になると天命をわきまえ
  六十になると人の言葉を聞くようになり 
  七十になると想うがままに振る舞い
  道を外れないようになった。


 私はまだまだ「惑う」ばかり・・・なり。